ネット世界は何処を目指して動いているのか?を、フラッグシップであるGoogle等を例に分かり易く解説されている。「シリコンバレーの連中は今こんなことを目論んでいるのか!」と気付かされる一冊。
中で、日米ITの成長の質に違いがあることに触れていた。
日本は「こちら側」。つまりインフラ等のフィジカルな部分で発達しているが、アメリカは「あちら側」=ネット社会に対するセンスが秀でていると言う。GoogleやAmazonが共にアメリカ産なのはここに理由がある。
洋ゲーをプレイする身からすると、MOD製作はネット上で進行するプロジェクトであろうから、なるほど日米の差は明白だ。ネット社会の活用無しにはUGC発信は無い。
日本でゲームのUGCが下火な理由は何だろう?
私は、コンシューマ(以下CS)機とメーカーの体制がその原因だと思う。
CS機が悪さをしたと言うつもりは無い。ただ、ファミコン時代からの圧倒的な普及率で、ゲーム=CS機と認識される様になった為、PCゲームの道が断たれてしまった。
次世代機各種にもネット接続機能はあるが、PCに比べ限定的な使い方しかされていない。
それは現在のCS機という仕様の限界であり、ネット社会を活用しきれないことを意味している。
メーカーの体制はどうだろう。 最近の日本製PCゲームと言うと、LostPlanetが思い浮かぶが、CAPCOMはSDK等を配布するだろうか? 恐らくしないだろう。するなら、高らかに拍手を送りたい。
メーカーの体制とはつまり、製作は“プロの仕事”にしておきたい、という事である。そして悪意的な見方をすれば、製作を独占する事で、焼き直しの作品を出すことも出来るわけだ。
UGCによる既存ゲームの底上げは、ソフトの価値に貢献するのに(しかもタダで)、企業は製品を1から10までコントロールしなければならない、と思い込んでいるため、自ら頭を押さえ込んでいる状態だ。
私がステッキを一振りして、UGCが花開く様に好きにゲームを取り巻く世界を書き換えられるなら、次の様にするだろう。
UGCにはネットの活用=PCがあること、が必須だからPCが無い環境は設定しない。
PCがあるならCS機は必要だろうか? ゲーム以外に高スペックPCを要しない層には必要かもしれない。
この場合のCS機は、現在の様に互換性の無いソフトを各社が出し合う状態からは、離れなければならない(ハード的棲み分けを排除する)。よってCS機と言っても、ワークステーションの様なPCの一形態と思って良い。よって、ソフトは共通の物が使用可能だ。
Wiiの様な特殊なインターフェースは専用の周辺機器として、出せばよい。
どうにかして環境が整った後、UGCが加速するかどうかは人間の役目になる。嬉しい事にニコニコ動画を見るに、高いモチベーションを持った人間は多そうだ。
10年後の世界はどうだろう? まだ「コンシューマ機」なる物があるだろうか? あるいはCS機はゲーム機能にのみ特化したPCになっているだろうか?
私は後者が理想だと思う。
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